オール・アバウト・アフリカンナイト
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雑誌『アフリカ』とアフリカキカクについて(2016年版)

───雑誌『アフリカ』の最初の号から丸10年がたちました。

下窪
 「そんなにたったかなぁ?」と思う反面、「まだ10年だっけ?」という気分も自分のなかにはありますね。10年というのは短いようで、すごく長い。その間にいろんなことがありましたね。

───長く続けるコツは? という質問がきていますけど?

下窪
 すごく長いというのは自分のなかの感想で、外から見てその10年を「長い」と見るかどうかは、ね? 『VIKING』(※神戸を拠点とする同人雑誌)は毎月出していて70年だっけ? あんな媒体は世界中見渡してもそうないと思いますけど。
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───『アフリカ』は同人雑誌ですか?

下窪 
いまの『アフリカ』が同人雑誌と言えるかどうかは微妙なところですけど、元々は同人雑誌だったと言っていいと思います。少なくともいまの日本では、こんな雑誌、そうないですからね。絶滅危惧種。数年前に「プライベート・プレス」ということばを使ったら、「『アフリカ』を言い表すことばとして、ぴったりですね!」とおっしゃる方がいました。「private press」という英語は、たしかウイリアム・モリス(※19世紀イギリスのデザイナー)が使っているんです。「個人的な雑誌」でもいいなぁ。それは片岡義男の本のタイトルなんですけど。
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左:「いま、プライベート・プレスをつくるということ」収録の『アフリカ』第20号(2013年7月号)
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───「ミニコミ」と呼ばれるような媒体とは違う?

下窪 
今、そういう媒体の多くは(文芸寄りの雑誌でも)必ず「特集」を組んで、それがメインではないですか? そのほうが手にとってもらいやすいし、売りやすいということなんでしょう。『アフリカ』とはちょっと性質が違うんじゃないかなぁ。

───『アフリカ』は特集を組まない? たしかにそうですね。

下窪 
小川国夫追悼特集で追悼文を三つとか、髙城青の作品を集めたひとり特集とか、そういうのはありましたけど、基本的にはやらないし、特集をウリにしていません。ひとりひとりが(ある程度)自由に書いたものを編集するんです。テーマを決めて、いろんな人に声をかけて、書いてもらう、なんてことはやりたくないわけです。そういうやり方にはとっくに飽きていた。

───仮に10年を「長い」と見るとして、続けるコツはありますか?

​下窪 
まずは始めること、次に続けること、って誰かのことばにありますよ。

​───2009年の「雑誌『アフリカ』について」で、「止めるまで続けます」と言ってますね(笑)。

下窪 
そう。そうとしか言えない。何ヵ年計画とか、ないです。だらだら生きてるだけ。そもそも一冊つくって終わりの予定だったんです(※『アフリカ』第26号/2016年8月号に掲載の「『アフリカ』前史」を参照)。

───どうして、止めなかった?

下窪 
欲をかいたんですかねぇ。当初は京都市にあった(当時の)私の部屋が発行所で、隣駅にあった立ち呑み屋で売れたんです。何てことはない、そこは私自身が通っていた店で、マスターにあげたら「何冊か置いていけば?」と言われて。そうしたら、1人が酔った勢いで「ん? 何これ? 読んでいい?」とか言って買い、つられて何冊か売れたような記憶があります。代金のかわりに生ビールをおごってもらったりしましたね。ゆるいもんでしょう? そのなかに、読んで、面白かったと言う人もいたんですよ! こちらとしてみたら、それほどは面白くないつもりでつくっていたのに(笑)。で、「次はないの?」と言われるもんだから、では… って感じだったのかなぁ。

───覚えてないもんですか。

下窪 
ハッキリ言えるのは止められなくなったってことです。つづけたかったというよりも。

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​───どうして?

下窪 
『アフリカ』に神さまが住みついて…(笑)でもね、それが冗談でないような感じになってきたんです。ある時期から。3年目くらいかなぁ。書き手がいなくなったと思ったら、やって来ましたからね。止めるんだったらやって来ないでしょう? そうしたら、どうして「アフリカ」なのかよくわからなかった雑誌名も変えづらくなってきた。

左:書き手が大幅に入れ替わり、はじめて詩が載った『アフリカ』第7号(2009年7月号)

───書き手がやって来たからつづけた、と。

下窪 
それしかないです。どれだけ読者がたくさんいても、書き手とつくり手がいなきゃ出来ないでしょう? 読者のために(?)ムリヤリつづけるというのが一番よくない。少なくとも自分は(止めたほうが良いと思ったら)スパッと止めますよ。止めるの好きだもの(笑)。何でも「つづける」ことだけが大事じゃないと思いますよ。しっかり止めたら次があります。でも、『アフリカ』は10年たっても止めさせてくれない。困ってます。いや、今はもう実際には困ってないですけど、気分的にはずっと困ってる感じがしてます。

───ずっと困ってる、というのはコツではないですか?

下窪 
なにそれ?(笑)コツは、『アフリカ』の場合、編集人が止めようと思えないような状況をつくりつづけることですかね。意図してやるもんじゃないと思うなぁ。逆に「意図しないでやる」ことは大事にしているような気がしますね。で、やると言ってるうちは、読者がいなくてもつくりますよ。というか、読者、います、最良の読者が、最低ひとりは、ここに。そのひとりさえいたら、もうひとりもいるんですよ。間違いないです。

───今は、何人くらいの読者がいますか?

下窪 
実際に手にしている人は100〜200くらいかな。この手の雑誌にしては、どうですかね。少ない? 多い? でも、雑誌の隅々まで読んでいる人の割合はすごく多いと思ってます。そういうつくりになっているんです。できたらくり返し読んでほしい。さらに言うと、できるだけ細かいところを見てほしい(笑)。

───『アフリカ』を知ってる、という人に、たまに会いますよ。読んだことはないけどって。

下窪 
どうして知ってるのかなぁ。たぶんウェブでの発信を見てくれているんでしょう。でも「たまに会う」というほど多い読者数じゃないはずですよ。でも仕方がない。実際に買おうと思ったら、ものすごくハードルが高いんですよ!
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───どんなふうに?

下窪 
府中の片隅にある珈琲屋でしか(基本的には)売ってなくて。多くの人は自ら連絡して、住所を教えて、送ってもらわないと手にすることすら出来ない。自分が買う側だとしたら、相当にハードルが高いなぁ。ご連絡いただく方々へは、だから、ものすごくありがたいなぁと思ってます。勇気のある人たち!

左:珈琲焙煎舎、府中市美好町にある小さな自家焙煎珈琲店で、2012年からアフリカキカクの「所在地」になった

───なるほど。買いやすい雑誌じゃないでしょうね。

下窪 
そんなにムリして読まなきゃいけないような雑誌でもないでしょう。何か特定の本を指して「必読の書」って言われているのをたまに見かけますけど、「必読の書」なんてないです。自分に縁ができた本を大切に読めばいいんです。
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───『アフリカ』を、これから手にとる人たちに、どんな雑誌と言えばいいでしょう。

下窪 
いつも困るんです。でも説明もしないとね。

───ちょっと考えてみましょうか。

下窪 
まず、ひじょうに申し訳ないけど「アフリカの雑誌じゃない」ということ。次に、「読む雑誌」だということ。つまり「見る」部分はそんなに多くない。いわゆる「文芸雑誌」だということ。「ことばの雑誌」と言ったほうが伝わりやすいかなぁ。漫画や写真も載ってますけど、それも一種の「ことば」で。社会的なテーマを大上段からとり上げる雑誌ではありません。でも社会の動きと全く無縁ではいられないから、影響は受けているかもしれません。でも社会問題(?)とベッタリくっついて読むようなことをしたくないんです。からめとられたくないというか… 。「書く」ことを生業とも趣味ともしていない書き手が大半で、「普通の人たちの雑誌」と呼んでいる読者と出会えたときは、嬉しかったですね。「普通の人たち」が、生活のなかで起きること、見たり聞いたり触れたり、感じたり考えたり思ったりすることを、いろんな切り口で切り取って見せて(読ませて)いるような感じ、と言えばいいかなぁ。

───「普通」ですかぁ。

下窪 
読んでみたら、ぜんぜん「普通」じゃないかもしれませんけどね(笑)。どんな人でも「書ける」ことを持ってはいるんですよ!

───では、『アフリカ』には、誰でも書ける?

下窪 
誰でも書けませんよ(笑)。誰でもいいとは思ってない。でも、『アフリカ』というこの場に来た人(書きたいと思った人)なら誰でも書けます。最初は載せるかどうかわかりませんけど、『アフリカ』の編集者は「この人いいな」と思いさえしたら、ある程度は信頼して任せてしまいます。原稿にかんしては、ひたすら読んで、思ったり考えたりすることを逐一伝えるんです。それに付き合えない人はダメですね。相性が合わないと思います。

───『アフリカ』の制作過程を「セッション」と呼んでますね。

下窪 
それは最初から言ってましたね。一回一回が、その回限りの「セッション」なんだという気持ちで。編集者と執筆者の間には励ましもあればバトルもある。最近は校正の黒砂水路さんも参加してくれて、執筆者と編集者と校正者が三人でゲラを見つめたり眺めたりしてる。『アフリカ』は、じつは完成するまでが楽しいんです(笑)。その書いたり読んだりする瞬間のパワーは、とても強いと思ってます。

(いつかに、つづく)
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